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坂本城跡 湖中に石群

坂本城跡 湖中に石群

京都橘大と大津市 調査

 明智光秀が琵琶湖岸に築いた坂本城跡(大津市下阪本)について、湖中を調査していた京都橘大と大津市は、新たに人為的に並べられたとみられる石群や
れき
群を確認したと発表した。船舶着岸や波よけのための遺構や、本丸の東端と考えられるといい、研究者は「水運と密接に関わりがある城の規模を解き明かす第一歩となる」と話している。(林華代)

船舶着岸や波よけ遺構か 「城の規模 解く一歩」

湖中で石礫群が確認された坂本城跡 (2023年2月4日撮影)=京都橘大提供
湖中で石礫群が確認された坂本城跡 (2023年2月4日撮影)=京都橘大提供
湖中石垣の南側で確認された石群(2022年10月14日撮影)=京都橘大提供
湖中石垣の南側で確認された石群(2022年10月14日撮影)=京都橘大提供

 坂本城跡周辺では1994年、猛暑と渇水で水位が観測史上最大のマイナス123センチを記録するなどし、湖中にあった石垣が姿を現した。同大学の南健太郎准教授(水中考古学)らは、関連の遺物などを調べるために、2022~24年度、本丸跡東側約5300平方メートルを潜水調査していた。

 今回発見した石群や礫群は、湖中にある石垣の南側に南北約60メートル、東西約10メートルにわたって広がっており、その南端には琵琶湖に向いた二つの大きな石(長さ約60~80センチ)があった。湖中石垣や三の丸の石垣と同じ花こう岩とみられ、南准教授は「人為的に配置されたとしか考えられない」とする。

 湖中石垣の北側でも、南北約45メートル、東西約31メートルにわたって礫群が確認され、南准教授は「中世の港湾跡では多くの礫敷き遺構が見つかっており、本丸に関連する構造物があったと思われる」と分析する。また、湖中石垣の北側と南側の両方で16世紀のものと思われる陶磁器や銅銭も見つかったという。

 坂本城は、1571年の比叡山延暦寺の焼き打ち後に、織田信長の命を受けた明智光秀によって築城が開始された。宣教師ルイス・フロイスの「日本史」では「安土城に次ぐ名城」と紹介されており、水路が張り巡らされ、船で行き来したと伝わる。しかし、86年頃に築城された大津城に資材が使われたため、廃城となった。

 県立大の中井均名誉教授(日本城郭史)は、今回の成果について「坂本城の石材は大津城築城の際、多くが利用されており、本丸に関連する遺跡の基礎部分があると期待されていた。湖中の測量調査はほとんど行われておらず、規模解明につながる大きな成果だ」と評価した。

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[紹介元] YOMIURI ONLINE 坂本城跡 湖中に石群

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