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天国の友と マラソン一丸

天国の友と マラソン一丸

そろいのユニホームで大会に臨む曽根さん(左から2番目)ら同級生たち(長浜市で)
そろいのユニホームで大会に臨む曽根さん(左から2番目)ら同級生たち(長浜市で)

同級生「チームサチオ」結成

そろいのTシャツに顔写真 「一緒に色んな所へ遊びに」

 腎臓の病で急逝した幼なじみを思い、同級生らが「これからも一緒に思い出を紡ごう」とチームを作り、マラソンを始めた。今月19日には、友の顔写真がプリントされたそろいのTシャツを身につけ、長浜市で開催された大会に出場。追悼の思いを胸に琵琶湖畔を駆けた。(矢野彰)

腎不全で急逝

 「これを着てたら幸男と一緒に色んなとこに遊びに行けるよな」

 大津市の自動車修理業、曽根圭介さん(39)らが着るTシャツの背中にプリントされているのは、大津市の筑田幸男さん(享年39歳)=提供写真=のはにかんだ笑顔と、誕生日の5月3日にちなんだ「53」の数字。筑田さんの父正男さん(74)が詠んだ「親よりも 先に逝くなよアホタレが 涙の
うみ
で 父母はもがきぬ」の句も並ぶ。

 曽根さんら筑田さんの小、中学校の同級生たちで結成した「チームサチオ」のユニホームだ。

 筑田さんは昨年7月、下肢が腫れ上がって救急搬送され、8月19日に腎不全で亡くなった。

 どこか放っておけない、不思議な魅力で周囲に愛された人だった。マラソンが趣味でもないのに皆で走ろうと言いだし、木の根につまずいて骨折した。よくケガをするし、車の運転は下手くそ。周りをハラハラさせることが多く、同級生たちは「アホなやつ」だったと口をそろえる。

 曽根さんは、小学3年の時に筑田さんが大津市に引っ越してきた頃からのつきあいで、バスケットボールを通して親しくなった。中学のバスケ部では筑田さんが主将、曽根さんが副主将を務めた。気が合い、兄弟のように言いたいことが言い合えた。別々の高校に進学後も交流が続き、一緒にアルバイトをしたり、食事したりと、毎週のように遊んでいた。

 救急搬送された際、スマートフォンで自分が搬送される様子を画像で送ってきた筑田さん。数日で退院したが顔はむくみ、尋常な様子ではなかった。自宅を訪ね「病院に行け」と何度も促したが「大丈夫や」と言うばかりだった。

 昔から人の世話は焼きたがるくせに、自分のことはあまり話さない。曽根さん以外の同級生には病気のことをちゃんと伝えないまま、自宅で最期を迎えた。

 実は、筑田さんは数年前にも仕事中に倒れたが、病気については両親にも黙っていたという。曽根さんは「昔から言うこと聞かないやつやったし、何とかなるとホンマに思ってたのかも」と振り返る。

交代で出場

 友のため何かできないかと考えていた時、行きつけの居酒屋の店長に勧められて、追悼のため昨年12月の奈良マラソンに出場することになった。

 筑田さんの死後、正男さんと母ひろ子さん(74)を励まそうと、毎週火曜日の夜に実家に集まっていた同級生の山口知佳史さん(39)、山田和斗さん(40)、伊藤哲也さん(40)らと一緒にチームを結成し、各地の大会を目指すことになった。

 奈良マラソンは、曽根さんがチームで作ったユニホームを着て約5時間半で完走。その後、ほかの同級生らも次々に加わり、仕事終わりに練習を重ねて、2月の大阪マラソン、3月のびわ湖マラソンに交代で出場してきた。

 今月19日に長浜市で行われた「奥びわ湖健康マラソン」には曽根さん、山口さん、山田さん、伊藤さんの4人で臨んだ。筑田さんの両親ら家族、ご近所さんまで応援に駆けつけ、15キロコースを4人とも完走した。

 曽根さんは「幸男はこの景色知ってるかなあ、とか思いながら走った。また会いたいなあ」と語り、山口さんは「これからも走ります。背中から見ていてくれると思うから」と前を向く。

 ゴールした4人を感無量の表情で迎えた正男さん。「短い人生でしたが、こんなに友達に愛されて、息子は幸せな男です」

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[紹介元] YOMIURI ONLINE 天国の友と マラソン一丸

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