江戸期以降 許可状や神札・・・
ろくろを使って
や盆などの木製品をつくる職人「
」の暮らしを支えた許可状にあたる由緒書をはじめ、神札や証明書類を刷った版木が東近江市蛭谷町で新たに見つかった。版木は江戸時代以降の21点で、調査した市は「全国に配布された刷り物のもとになる版木。木地師の根源地であることを示す貴重な資料だ」と評価している。(中村総一郎)
東近江で21点
同市の小椋谷にある蛭谷町と君ヶ畑町では江戸~明治時代、小椋谷から各地に広がる木地師を把握して保護や統括するため、数年ごとに全国を訪ね歩く「氏子かり」が行われていた。この際、各地の木地師から小椋谷の神社などに奉納する名目で金を集める一方で、手形や由緒書、鑑札、神札などを発行していた。
今回発見されたのは、それらを刷った版木の一部。市が2022~24年度に実施した木地師文化調査事業の中で、22年夏に木地師を保護した神官の家系である小椋正清市長宅で見つかった。段ボールや新聞紙に包まれて整理された状態で、門の屋根裏にあったという。
市が今年3月にまとめた報告書によると、版木は江戸時代8点、明治時代以降13点の計21点。内容別にみると、由緒書5点、厄よけの護符に用いる「
宝印」2点、神札7点、印3点などだった。
由緒書の版木は、豊臣秀吉の家臣だった増田長盛(1545~1615年)、織田信長配下の丹羽長秀(1535~85年)、正親町天皇(1517~93年)、朱雀天皇(923~952年)がそれぞれ木地師を保護し、その活動を許可するなどの内容だった。
また、各版木には「承平」「元亀」「天正」など当時の年号が書かれており、明治以降になって由緒書の写しをもとに版木を作り、大量に印刷して配ったとみられる。版木に浮き彫りにした文字の深さが1ミリ未満と比較的浅いことから、明治以降に製作したと判断したという。
市は蛭谷町、君ヶ畑町の各自治会が所蔵している版木15点についても改めて調査。伝承で木地師の祖とされ、信仰の対象になった「惟喬親王(844~897年)像」の版木は製材が粗いことや彫り方などから、江戸時代の製作で同親王の縁起を広く伝えるために作られたとしている。
調査を担当した市森の文化推進課の明日一史参事(歴史考古学)は「当時の有力者や天皇の権威を背景に木地師を保護しようとした根源地・小椋谷の動きが版木からも分かる。版木に使った樹種や製材の状態、文字の彫り方や、全国にある氏子かりの訪問地に残る刷り物と照合するなどさらに詳しい調査が必要だ」と話している。