近江八幡 戦国期 石段や排水用側溝
近江八幡市島町の
寺遺跡で、石段や排水のための側溝を備えた戦国時代(15世紀~16世紀前半)の道路遺構が見つかり、県文化財保護協会が発表した。道路は当時、天台宗の山寺だった阿弥陀寺の麓と山上の施設を結ぶ中心線で、左右に坊院などがあったとみられ、中世の山寺の様子や土木技術の高さもうかがえる貴重な発見という。
砂防工事に伴い4月から発掘調査を実施。阿弥陀寺は平安時代の創建と伝わり、調査区域より約200メートル南西に江戸時代に再建された本堂や山門、そこに至る石段が残る。周辺の山腹には3か所の谷があり、道路遺構はこのうち「北谷」と呼ばれるエリアから見つかった。
道路は長さ約26メートル、幅約4メートルのほぼ直線で、一部に崩れないように板石で段差を設けた石段も見つかった。道路両側には側溝が整備され、石で囲んで山頂から流れ込んだ水をためたとみられる水場(長さ約6・4メートル、幅約2メートル)や、一部は石や土で覆った
にして、道路脇にある平らな面の盛り土が崩れないようにした工夫が施された遺構も見つかった。
遺構に
した土からは15~16世紀の土器や陶磁器などが出土しており、戦国時代に整備されたと推測される。
阿弥陀寺遺跡では、これまでに道路の左右には、石垣や石積みを伴い、ひな壇状になった平らな面が複数確認されている。そこでは建物跡は見つかっていないが、地元に伝わる文書には「北谷に坊があった」との記録があり、坊院が立ち並ぶ中世の山寺の景観をうかがわせる。
同協会調査課の阿刀弘史主幹は「石垣や道をつくる土木技術をもった集団が寺に存在したと考えられる。道が続く最上部には寺に関係する何らかの施設があったのでは」と推測する。
佐藤亜聖・県立大教授(日本考古学)は「幹線道路を中心として谷地形を最大限に利用して坊院を配置している状況がよく分かる。中世の山寺は谷単位で独立した勢力を築くことが多く、短期間に計画を立てて作られた坊院群の様子は中世山寺の特徴をよく表している」とコメントした。
2日午後1時から現地説明会を開催。問い合わせは県文化財保護協会(077・548・9780)。