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青地城址 初お披露目…草津 8月3日

青地城址 初お披露目…草津 8月3日

歴史愛好家ら 許可取り企画

代々城主の碑の前で歴史を語り合う山本会長(中央)と寺尾事務局長(左)ら(草津市で)
代々城主の碑の前で歴史を語り合う山本会長(中央)と寺尾事務局長(左)ら(草津市で)

 中世の城郭遺構として草津市青地町に残る「
青地城址あおじじょうし
」が8月3日、初めて一般公開される。敷地の一部には現在、創立148年の市立志津小が立っており、学校裏の遺構はフェンスで囲まれて自由に立ち入れないが、地元の歴史愛好家グループが「地域の歴史に触れ、郷土の誇りを知ってほしい」と企画した。(藤井浩)

碑や土塁 往時の面影色濃く

 市教育委員会などによると、青地城は鎌倉~室町時代、栗太郡の一部を治めた地方豪族、青地氏の居城。鎌倉時代中頃、近江守護職佐々木定綱の孫が青地氏の養子になり、その子忠綱が平山城を築いた。以降十数代にわたり、領主として湖南地域を支配したと伝わる。

 志津小の前身の志津学校が城跡内に新築移転されたのは1907年。校舎裏の遺構は、かつて子どもたちの遊び場だったが、今はフェンスで仕切られて施錠され、管理と安全確保の観点から自由に入れなくなっている。

 城跡の規模は約200メートル四方と推定され、丘陵状の小山にある平らな場所に本丸や建物があったとみられ、本丸跡に子孫が建てた代々城主の碑などがある。周囲には高さ10メートル前後の土塁、空堀が巡らされ、今も往時の面影を色濃く残す。

 2020年、地元のまちづくり協議会が、昔を知る地域の高齢者らの協力を得て、郷土の写真集を発刊。それを機に歴史ファンらが22年、地域の歴史を深く勉強し、目で見て体感したいと、「志津の歴史と文化をまなぶ会」を結成した。今回は、地権者の許可を得て「青地城の隠れた秘密を探しに城山を探検してほしい」と初公開に踏み切った。

 志津小OBの山本浩史・同会会長(64)は「これだけの遺構が残っているのは地元の誇りで、その魅力を知ってほしい」と話し、同じくOBの寺尾信一・事務局長(74)も「かつてと変わらない姿の土塁に登ると今も感動する。幅広い世代に感じてほしい」とPRしている。

 当日は午前10時~午後3時に公開(小雨決行)。会場入り口は志津小裏門近くに設け、「青地城」の文字が入った同会ののぼり旗が目印。参加無料で申し込み不要。駐車場などの問い合わせは山本会長(090・3486・0932)か、寺尾事務局長(090・2110・5542)へ。

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