因乗寺 手紙や腕章 100点公開
日中戦争の際、慰問や慰霊のために旧日本軍に従軍した僧侶の手紙など、長浜市の浄土真宗本願寺派・因乗寺に残されていた資料約100点が報道陣に公開された。戦後80年を機に、同寺の住職がその存在を公にすることを決めた。専門家は「従軍僧の1次資料が見つかるのは珍しく、貴重」としている。(生田ちひろ)
「戦争 二度と起きぬよう」


資料は、同寺の住職だった
さん(故人)が日中戦争中の1939年4~6月に兵士を精神的に支えるとともに、戦死者を慰霊するために従軍し、北京や上海など中国各地を訪れた時のもの。「皇軍慰問使」と記された名刺や、「本派本願寺 慰問使」と書かれた腕章、兵士に配られたとみられるお守り「懐中名号」などで、当時の青島日本総領事館が慰問や慰霊を目的に出した「入域許可書」も含まれている。
現地の兵士から届いた礼状や、行忠さんが大陸から家族らに宛てて日程などを伝えたはがきもある。同郷の新聞社の社長に送ったものには、同じ長浜出身の「郷土部隊」の兵士の遺骨に読経し、部隊長から遺族への伝言を託されたことなどが記されている。
同寺によると、資料は10年前に本堂の修復資金を捻出しようと手放したため、半数が散逸。戦時資料を収集している長浜市のフリージャーナリスト出雲一郎さん(70)が古物商から入手して保管しており、今年になって出雲さんが同寺を訪問して、今回の公開につながった。
行忠さんの孫で現住職の行隆さん(70)は「本願寺派にとっても負の遺産だろうが、戦後80年の節目にあたり、戦争が二度と起きないように、何が行われていたのか思い至る資料になってほしい」と心中を明かす。今後は、研究者らにも公開するという。
佛教大の大谷栄一教授(近代仏教)の話
「従軍僧の個人的な記録『エゴ・ドキュメント』は、戦争協力への負い目から廃棄されるなどしており、ほとんど見つかっていない。そんな中で、慰問活動の実態が分かる貴重な資料。本願寺派に残る資料などと照合することで、日本仏教と戦争の関係がより詳しくわかるのではないか」

