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レイラック Jの扉開いた

レイラック Jの扉開いた

 サッカーのJ3・JFL入れ替え戦は14日、静岡県沼津市の愛鷹広域公園多目的競技場でレイラック滋賀FCとアスルクラロ沼津の第2戦が行われ、1―1で引き分けた。初戦を3―2で勝ったレイラックは1勝1分けで入れ替え戦を制し、滋賀初のJリーグ参入を決めた。(河村真司)

レイラック Jの扉開いた
Jリーグ参入を決め、サポーターとともに記念撮影するレイラックの選手ら(静岡県沼津市で)
22分、先制点を決めサポーター席に駆け寄る秋山選手(手前中央、静岡県沼津市で)
22分、先制点を決めサポーター席に駆け寄る秋山選手(手前中央、静岡県沼津市で)

 レイラックは22分、右からのクロスをMF秋山駿選手(26)が頭で決めて先制。2分後に追いつかれたものの、球際での競り合いで負けることなく、相手の3倍となる12本のシュートを放って攻め立てた。終盤には相手選手2人が相次いで退場、数的優位を生かしてそのまま試合を締めた。

 球際のせめぎ合いは「魂」なのだという。角田誠監督(42)は、戦いの極意を選手に吹き込んだ。相手より一歩でも、半歩でも先んじる。その強い気持ちを選手たちは90分間保ち続けた。

 リーグ最終節、残留のかかった横河武蔵野FCの気迫の前に黒星を喫した。「JFL(日本フットボールリーグ)の仲間が教えてくれた。そこからの練習が今季一番厳しかった」と主将のMF海口
彦太げんた
選手(29)は振り返る。

 出場メンバーをかけたチーム内競争の激しさが強みだ。「(フィールドプレーヤーは)全員がリーグ戦に出場した」と角田監督。「魂」を発露させた選手だけが、試合に出る権利を得てきた。

 貴重な先制点をたたき出した秋山選手は、レイラックとなる前の時代を知る選手でもある。「価値のある1点を取れてよかった。絶対にJに上げたいと思っていた」とゴール後はサポーター席に駆け寄って喜びを分かち合った。

 監督は言い続けてきた。「20年、バトンをつないできた人たちがいる。滋賀のサッカーの歴史を変える」。2025年12月14日、ついに扉が開いた。

 クラブ創設20年の節目での喜びに、レイラックサポーターが沸いた。応援をリードする甲賀市の大学3年生、山本
一颯いっさ
さん(20)はサポーター歴13年。「ベテランから若手まで、目標に向かって手を抜かない姿が好き」とチームの魅力を話す。今季はアウェーの試合にもすべて駆けつけたといい、「MIO時代を知る秋山選手がゴールを決めてくれたのがうれしかった。J2、J1と大きな舞台でタイトルを獲得してほしい。次の20年の夢です」と声を弾ませた。

 ■レイラック滋賀FC 2005年、ジュニアユースクラブとして誕生。翌年、廃部となった佐川急便京都サッカー部の選手を中心に「FC Mi―O(ミーオ)びわこKusatsu」として関西リーグ1部に参加、08年にJFLに昇格した。12年に「MIOびわこ滋賀」となり、23年からスペイン語で「キング」を指す「レイ」と、フランス語で「湖」を意味する「ラック」を掛け合わせた現在の名称に変更した。

 

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