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「なぜ」傍聴席で答え求め 大津保護司殺害

「なぜ」傍聴席で答え求め 大津保護司殺害

 大津市の保護司・新庄博志さん(当時60歳)が2024年に保護観察対象者との面接中に殺害された事件の裁判員裁判。殺人罪などに問われた飯塚紘平被告(36)には、求刑通り無期懲役が言い渡された。2日の判決まで地裁で開かれた計5回の公判に、東京から足を運んだ保護司の男性がいた。どのような思いで傍聴したのか。話を聞いた。(小手川湖子)

初公判から地裁へ 元保護観察対象者の保護司

「なぜ」傍聴席で答え求め 大津保護司殺害
「公判で飯塚被告の話を聞き、社会で孤立している子のよりどころになる保護司になろうと改めて思った」と語る男性(大津市で)

 男性は東京都足立区在住で、埼玉県の保護司会に所属する54歳。新庄さんの事件はニュースで知った。

 「なんで保護司が……」。自分が保護司だから、というわけではない。人生を変えてくれた恩人が保護司だったから、衝撃は大きかった。涙が止まらず、その場に立ち尽くしたという。

 男性は14歳の頃、他校の中学生とのけんかから傷害容疑で逮捕された。保護観察処分を受け、現在まで40年にわたって縁が続くことになる保護司の女性が担当になった。

 ある日、「イライラして、どなりたくなることがある」と女性に打ち明けると、こう言われた。「どなりたくなったら、私をどなりなさい」。身を乗り出し、自分を真っすぐ見つめる視線は力強かった。「怖くないのか?」。肝が据わった女性の迫力に気おされ、それから慕うようになった。

 ただ、その後も、傷害容疑で2回逮捕され、少年院に入ることに。女性は担当保護司から外れた。

 少年院では、電気工事について学んだ。技術を身につけ、社会復帰してからも就職して経験を積み、2000年に自分の会社を設立。女性には節目節目で報告してきた。更生し、これまでに建設産業の第一人者を顕彰する国土交通省の「建設マスター」や現代の名工に選ばれたほか、昨春には黄綬褒章を受章した。

 保護司になったのは09年。女性から犯罪や非行の前歴があって定職に就くことが難しい人を雇い、社会復帰を支える「協力雇用主」に推薦され、会社を登録。その流れで委嘱された。現在は、非行少年から保護司になった「ロールモデル」として、少年院や保護司の会合などでの講演を依頼されることも多いという。

 自分も保護観察対象者だったが、保護司に対して殺意や憎しみを抱いたことは一度もなかった。それだけに、事件は全く理解できなかった。しかも、連日の報道の中で、新庄さんが過去に保護司として支援した人物が、新庄さんを失った悲しみとともに、感謝の気持ちを語っているのを見た。「偉大な先生だったんだな」と思った。

 自分を担当する保護司が襲われたら、許せない。なぜ殺されなければならなかったのか――。答えを求め、傍聴を決意した。

 東京から車で片道約7時間。5回の公判のために妻と2人で計3往復し、大津市内に泊まったこともあった。保護観察制度を揺るがした事件の裁判は注目度が高く、傍聴券は2月17日の初公判から毎回抽選となった。男性は2日の判決以外は当選し、傍聴席ではできるだけ前方に座り、時には涙しながら、メモをとった。

 第2回公判の被告人質問で、飯塚被告が「(面接は)茶番と感じていて、特に意味のない、やり過ごすものと思っていた」と話した時、怒りがこみ上げてきた。初公判では、新庄さんは事件当日、飯塚被告のために缶コーヒーを用意していたことを検察側が明らかにしていた。男性は「赤の他人に、それも罪を犯した子にコーヒーを用意していた。新庄さんはいい先生だ。それを茶番と言うなんて、許せない」と語気を強めた。

量刑の重さ 抑止力に■更生支援の例 知って 

 裁判では、面接中の保護司を殺害する犯行に対して量刑が軽くならないか危惧していた。刑が軽ければ、抑止力にならない。ボランティアである保護司のなり手が更に減り、保護観察制度が崩壊してしまう。そう恐れていた。判決が無期懲役だったことを記者が伝えると、
安堵あんど
の表情を浮かべ、目元を押さえながら「やっぱり軽くないよ」とつぶやいた。

 男性は最後に、取材を受けた理由を教えてくれた。

 「自分みたいな、保護観察対象者から保護司になった人間もいる。更生保護制度が成功した例もあることを知ってほしい」

 

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