
県文化財保護協会は、守山市笠原町の笠原南遺跡で、乳幼児を埋葬したとみられる木棺墓や、周囲に溝が掘られた周溝墓群などが新たに見つかったと発表した。昨年度も周溝墓などが確認されており、協会は「昨年度と今回の調査で、弥生時代後期~古墳時代前期の葬祭空間などが明らかになった」としている。(河村真司)
同遺跡は弥生~平安時代の集落や水田耕作の様子を示す遺跡として知られ、長年発掘調査が行われている。今回見つかった周溝墓は、出土した土器などから〈1〉弥生時代後期〈2〉同末~古墳時代初頭〈3〉同前期――の3時期のものとみられている。〈2〉の弥生時代末期は卑弥呼が活躍した頃とされる。
木棺墓は2基あり、一つは丸太をくりぬいて造られ、長さ1メートル、幅35センチ、厚さ25センチで、遺体が納められた部分は長さ75センチ、幅15センチ、深さ5センチだった。木棺の下に3本の丸太が敷かれており、安定させるために使われていたとみられる。もう一つは針葉樹の板材を組み合わせたもので、長さ95センチ、幅20センチ、高さ5センチだった。水分を多く含む野洲川流域の土中で腐食を免れたことなどから、形を残したまま発掘されたとみられる。
木棺墓はともに副葬品がなく、詳細な時期は特定できていないが、奈良県立橿原考古学研究所の森岡秀人・特別指導研究員は「(近接する周溝墓が形成された)弥生時代後期と考えられてよい」と指摘する。異なった構造の小型木棺が2基並んでいるのは珍しいとし、「埋葬者間の親族構成や出自集団の違いを考えるうえで有力な事例」と評価する。
近くには、建物から独立して棟木を支える「独立 棟持柱 」があった跡も見つかり、葬送儀礼に使われた建物があった可能性が高いという。
新たに見つかった周溝墓は12基あり、昨年度の調査でも把握された〈2〉の時期に加え、〈1〉、〈3〉の時期に形成されたとみられる方形や円形の墓も確認された。盛り土部分が後世の開発で削り取られており、埋葬施設などは残っていなかった。
同協会は「墓域の開始時期は弥生時代の後期中~後期に遡ること、複数の墓形式が存在していることがわかった」などとしている。
現地説明会は、3日午後2時から行われる。
出典:読売新聞オンライン
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